9月29日、TechSpotが「Scammers used an AI voice clone and a fake WhatsApp message to move €95 million out of an Italian bank」と題した記事を公開した。AIが弁護士の声をリアルタイムで模倣し、イタリアの大手プライベートバンク幹部を欺いて9500万ユーロ(約155億円/約1億800万ドル)もの資金を流出させた詐欺事件の詳細が明らかになった。WhatsAppによるCEOへのなりすましと、AIボイスクローンによる電話という二段構えの攻撃が、経験豊富な銀行幹部の判断を狂わせた。
WhatsAppから始まった精巧な詐欺
被害を受けたのは、イタリア最大手銀行インテーザ・サンパオロのプライベートバンク部門、フィデウラム(Fideuram)だ。同行の会長パオロ・モレシーニは2026年2月、インテーザ・サンパオロのCEO カルロ・メッシーナを名乗るWhatsAppメッセージを受け取った。内容は「大規模な海外送金への協力」を求めるものだった。
続いて、大手法律事務所のシニアパートナーを名乗る人物から電話が入った。しかしその声の主は人間ではなかった。犯罪者はAIモデルを使い、弁護士の声をリアルタイムでクローニングし、モレシーニに対してCEOからの依頼が正当なものだと信じ込ませた。
フィデウラムはその指示に従い、中国や香港を含む複数の海外口座へ合計9500万ユーロを送金した。
AIボイスクローン技術の実態
今回の攻撃の核心となったのが、リアルタイムのボイスクローン技術だ。ボイスクローンとは、特定人物の音声サンプルをAIモデルに学習させ、その人物の声質・抑揚・話し方を再現する技術を指す。近年はElevenLabsやMicrosoft Azureの音声合成APIといったサービスの普及により、比較的少量の音声データからでも高精度なクローンを生成できるようになっている。
特に「リアルタイム」での変換が可能になったことが攻撃者にとって大きな武器となっている。事前に録音した音声を送りつけるのではなく、通話中に攻撃者自身の声を標的人物の声へリアルタイム変換することで、会話のやり取りに自然に応じられる。質問に答え、言葉を選び、感情を込めた受け答えができるため、被害者が「録音ではないか」と疑う余地がほとんどない。公開されたインタビュー映像・ポッドキャスト・講演録音など、オンライン上に存在する音声素材があれば、著名な弁護士や経営者の声であっても再現が可能とされる。
被害額と回収状況
フィデウラムの内部チームが送金処理中に不審な点を検知し、送金先の銀行に警告を発した。その後、イタリア・ポルトガル・中国の当局および金融機関の協力により、5300万ユーロの回収に成功した。
一方で残りの約4200万ユーロは、複数の海外口座を経由した後に仮想通貨へ変換されたとされており、資金の追跡が著しく困難な状況となっている。元記事では具体的な通貨の種類には言及されていないが、国際的な協調捜査にもかかわらず現時点では回収できていない。
会長の辞任と捜査の行方
モレシーニは2026年3月、具体的な説明なしに辞任した。今回明らかになった詐欺事件が、その背景にある可能性が高い。
ミラノの検察当局は現在、AI生成による詐欺の実行犯の特定を進めている。EU域外に居住する1名がコンピューター詐欺の疑いで捜査対象となっていると報じられている。
ソーシャルエンジニアリングのAI化が示すもの
この事件が示すのは、従来のソーシャルエンジニアリング(人間の心理や信頼関係を悪用する攻撃手法)がAIによって一段階進化したという現実だ。
テキストによるなりすましだけでなく、リアルタイムのボイスクローンを組み合わせることで、攻撃の信頼性が飛躍的に上がる。フィデウラムのケースでは、メッセージ(WhatsApp)と音声(電話)という2つのチャネルを使ったマルチステップの攻撃構造が採られており、どちらか一方だけを検証しても異常に気づきにくい設計になっている。上位者からの指示・時間的プレッシャー・複数チャネルによる裏付けという三要素が重なることで、判断力を持つ幹部であっても欺かれうることを示した。
高額の送金権限を持つ銀行幹部が標的になっており、今後も同様の手口が繰り返される可能性は高い。組織のセキュリティ訓練において、音声認証の限界とAIなりすましへの対策を明示的に組み込む必要性が、改めて浮き彫りになった事件だ。コールバック確認や帯域外認証(別経路での本人確認)といった手続きの徹底が、現実的な防衛策として求められている。
詳細はScammers used an AI voice clone and a fake WhatsApp message to move €95 million out of an Italian bankを参照していただきたい。




