10月17日、madrobot.blogが「Claude worked alone for 53 hours and beat the best published quantum circuits」と題した記事を公開した。Anthropicの最上位モデル「Claude Mythos 5」が人間の介在なしに53時間稼働し、量子回路設計の8つの課題すべてで研究者たちが公開してきた最良の設計を上回ったという実験の詳細が報告されている。
成果の核心は「ゲート数を17分の1に削減した楕円曲線演算回路」だ。楕円曲線暗号(ECDSA等)の安全性を支える演算に関わるものであるだけに、量子コンピュータ研究の加速という文脈を超えて、現在の暗号基盤の将来にも関わる話として注目を集めている。
なぜ量子回路の効率化がこれほど難しいのか
現在の量子コンピュータは数百〜数千の量子ビット(qubit)を持つが、エラーが多く、実用的なアルゴリズムを動かすには程遠い状態だ。そのため研究者たちは、同じアルゴリズムを「より少ない量子ビット・より少ないゲート操作」で実装する回路設計に年単位の時間を費やしてきた。
Anthropicが引き合いに出す例がわかりやすい。空気中の窒素を固定する酵素「FeMoco」のシミュレーションに必要なToffoliゲート(量子回路の基本操作単位)の数は、2017年時点の約50兆個から8年間の研究の積み重ねで約3.4億個まで削減された。それでも膨大な数だ。そこに今回のClaudeが割り込んできた。
「コードを書いて、採点して、再挑戦する」を人間なしで繰り返す
Anthropicは10月16日付けの研究投稿で実験の詳細を公開した。成果はarXivのプレプリントとしても入手可能で、AnthropicのSTEM Fellows ProgramのAndi Guが主導し、量子物理学者Alek Kemeny、ハーバード大のSusanne YelinおよびMikhail Lukin(量子コンピュータ企業QuEraの共同創業者)が参加している。
Claudeが用いたのは、普通のコンピュータ上で正しさを検証できる課題という性質を活かしたループだ。Pythonでコードを書く→独立した評価プログラムが「量子ビット数×ゲート数」でスコアリングする→スコアを元にClaudeが再設計する、このサイクルを53時間にわたって人間の介在なしに回し続けた。なお、Claude Mythos 5はAnthropicの現行最上位モデルであり、長時間の自律的タスク実行(いわゆる「エージェント型」動作)を想定して設計されている。
最大の成果:楕円曲線回路のゲート数を17分の1に
8つの課題(化学、最適化、物理シミュレーション、整数論、数値計算)のなかで最もインパクトが大きいのが楕円曲線の点加算だ。これは楕円曲線暗号(ECDSA)の安全性を支える「離散対数問題」への量子攻撃の中核をなす演算であり、量子回路のベンチマーク課題としても広く使われている。
ボトルネックは「モジュラー逆数計算」というステップだ。古典的にはdivstepsと呼ばれる手法が効率的だが、量子回路では計算の途中経過(スクラッチワーク)を捨てられないという制約がある。量子計算では操作の可逆性が要求されるため、途中の分岐情報をすべて保持し続けなければならず、これが回路規模を膨らせる主因となっていた。
Claudeは「記録をやめ、数値そのものから逆算する」というアプローチを取った。初期ルールが256ビットの完全なケースで失敗すると、新たな代数的等式を証明し、デコードの厳密なルールを導出し、大規模シミュレーションでテストし、さらに定理証明支援システム「Lean」で形式検証まで行った。53時間の単独稼働から生まれたのが「分岐履歴の記録を一切持たない、初めての可逆版divsteps」だという。量子ビット数は最小構成比で12%増えるが、ゲート数は17分の1になる。
もう一つの成果:デコーダのゲート数を12分の1に
2つ目のハイライトは「デコードされた量子干渉法(decoded quantum interferometry)」という量子最適化手法のコスト削減だ。誤り訂正符号のデコードと量子位相推定を組み合わせることで計算コストを下げるGoogleが提案したこの手法では、誤り訂正デコーダの部分が最もゲート数を消費する。
Claudeは既存回路が使っていた手法を、線形帰還シフトレジスタの最短生成多項式を求めるBerlekamp–Masseyアルゴリズムに置き換えた上で、シミュレータを自作して4億300万回のサンプリングを実施した。その結果、ほぼすべての実行で保存が必要な値は1つ以下と判明し、従来665量子ビットを確保していた部分を19量子ビットに絞ることに成功した。約1万回に1回の失敗率は課題の許容誤差範囲内に収まっており、ゲート数はトータルで12分の1に減少している。
人間の関与と今後の課題
成果はすべて独立した評価プログラムで検証されており、divstepsの成果はLeanでの形式検証も済んでいる。ただし論文はまだプレプリントで、査読は経ていない。
また、完全な無人稼働でもなかった。1段落の指示を与えた以外に、チームは「時折」Claudeに対してより広い視野で考えるよう促す必要があった。Claudeが慣れた手法に固執する「保守的な傾向」を示したためだ。先月、ハーバードの物理学者Matthew Schwartzが「Claudeには厳密な監督が必要」と指摘した事例とは逆方向の問題だが、AIを研究に組み込む際の人間の関与のあり方が問われる点では共通している。
暗号基盤への影響と現実的なタイムライン
楕円曲線回路の効率化は、理論上は現在の公開鍵暗号への量子攻撃を現実に近づける。ただし、今回の成果が攻撃に転用されるには、回路を実際に動かせる十分な規模の誤り訂正量子コンピュータが必要であり、現時点では実用的な脅威ではない。標準化機関NISTはすでに耐量子暗号(PQC)の標準化を2024年に完了しており、移行計画は進んでいる。今回の成果は、その移行を急ぐ根拠をあらためて強化するものとして受け取るのが妥当だ。
Anthropicは今回のループを将来的に拡張し、アルゴリズムからハードウェアまで一つの問題に特化した誤り訂正量子コンピュータ全体の設計に応用できる可能性を示唆している。プレプリントへの外部からの独立した検証がどれだけ早く行われるかが、今後の焦点になる。
詳細はClaude worked alone for 53 hours and beat the best published quantum circuitsを参照していただきたい。




