6月22日、Daniel Lemireが「Chatting with an AI Won't Make You a Top Programmer」と題した記事を公開した。この記事では、AIとの対話だけではトッププログラマーにはなれない理由と、コードを読み書きするスキルの本質的な価値について論じている。
タイピングは「当たり前」になり、草書体は消えた
Lemireはまず、スキルの変遷という視点から議論を始める。かつてタイピングは特技だった。速度を競うテストがあり、習得に時間をかけた。今やタイピングは誰でもできて当たり前であり、逆に草書体(カーシブ体)——筆記体とも呼ばれる、文字を繋げて書く手書きスタイル——は若い世代の多くが読み書きできなくなっている。実際、米国の多くの州では草書体の授業がカリキュラムから外れており、習得の機会そのものが失われつつある。
この枠組みでLemireが立てる問いは鋭い。「コードを読み書きするスキルは、ソクラテスの思想に近いのか、それとも草書体に近いのか」——つまり、普遍的な価値を持ち続けるのか、それとも時代と共に廃れるのか。
ここでのソクラテスの引き合いは象徴的だ。ソクラテス自身は文字を書き残さなかったが、その思想はプラトンらの弟子による記録を通じて後世に伝わり、西洋哲学の根幹を形成した。口頭伝承か文字記録かという手段の違いに関わらず、内容の本質的な価値は失われなかった——Lemireはコードの読み書き能力にも同様の普遍性があると主張する。
AIでアプリは作れるが、コードは読めない学生
Lemireは今年、AIを使ってアプリケーションを構築できるが、コードを読み書きできない学生に複数出会ったと述べる。これは新しい現象ではない。ソフトウェア業界では以前から、大学の学位を取った後はコードを書かず、設計や要件定義に専念するという風潮があった。「コーディングは下位の仕事」という見方だ。
しかし現実は逆説的だ。GoogleやMetaでトップクラスの報酬を得るエンジニアたちはコードを書く。アセンブリもTypeScriptも読む。広い知識を持つ。
なぜこの乖離が生じるのか。
トップ1%のプログラマーが評価される本当の理由
Lemireの答えはシンプルだ。「彼らは他の人間が把握できない概念を理解しているから高く評価される」。問題をより深く見通せる。そしてその洞察力は、大量のコードを読み書きする経験から育まれる。
AIとチャットするだけでは、そこには到達できない。Lemireはこう言い切る。
Chatting with an AI will not make you a top 1% programmer.
テレビが普及したとき、大学の講師は不要になると予測した人がいた。その予測は部分的には正しかったが、実際には起きなかった。なぜなら講師の仕事はテレビ番組を流すことではなかったから。同様に、トップエンジニアの価値は「コードを生産する機械」であることではない。誰もコードそのものを欲しいわけではない——生の文字列テキストを欲しい人がいないのと同じだ。
価値の源泉は「出力量」ではなく「理解の深さ」にある。この構造は、AIがコード生成を担うようになっても変わらない、というのがLemireの論点だ。
ツールの二極化が起きる
Lemireは今後の展望として、エンジニアのツールが二極化すると予測する。優秀なエンジニアほど、コードへの理解を最大化するツールを選ぶようになる。AIが生成するコードの量が増えても、それを読み解き、評価し、制御できるエンジニアの希少性は上がる。
むしろ将来のトップエンジニアは、過去のいかなる時代よりも大量のコードを読むかもしれない、とLemireは述べる。数は少ないが、その影響力は大きい。
コードの読み書きは草書体ではなく、ソクラテスの思想に近い。より優れたアウトプット生成ツールが登場しても、それ自体が廃れることはない本質的な知的労働だ、というのがLemireの主張だ。
なお、Daniel Lemireはカナダの計算機科学者・教授であり、SIMDや高速データ処理の研究で知られる実務寄りの研究者だ。この種の「エンジニアリングの本質論」を定期的にブログに書いており、Hacker Newsでも頻繁に話題になる。
詳細はChatting with an AI Won't Make You a Top Programmerを参照していただきたい。




