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Deep Dive

「ソフトウェア開発のコストは最低賃金を下回った」— AI時代の18ヶ月を現場で過ごしたエンジニアが語る、業界の地殻変動

9月27日、Geoffrey Huntleyが「the eighteen-month recap: AI Engineer, Singapore, May 2026」と題した記事を公開した。本記事は2026年5月にシンガポールで開催された「AI Engineer」カンファレンスDay 2での講演トランスクリプトをまとめたものであり、公開から約4ヶ月が経過している点は念頭に置いておきたい。独立系AIリサーチャーとしての18ヶ月間の実体験をもとに、AIがソフトウェア開発・ビジネス・社会構造に与える変化について詳しく論じている。

9月27日、Geoffrey Huntleyが「the eighteen-month recap: AI Engineer, Singapore, May 2026」と題した記事を公開した。本記事は2026年5月にシンガポールで開催された「AI Engineer」カンファレンスDay 2での講演トランスクリプトをまとめたものであり、公開から約4ヶ月が経過している点は念頭に置いておきたい。独立系AIリサーチャーとしての18ヶ月間の実体験をもとに、AIがソフトウェア開発・ビジネス・社会構造に与える変化について詳しく論じている。


AIの普及は「休暇」に連動する

Geoffが提唱する仮説のなかで、特に独自性が高いのが「AIの社会的普及は休暇のタイミングと連動する」という観察だ。

2024年12月に多くの人が「AIがついに使えるようになった」と気づいた理由は、モデルが突然良くなったからではない。人々に「休み」があったからだ。仕事から離れ、手元のツールをじっくり触る時間が生まれて初めて、改善を実感できる。

モデルがどれだけ良くなっても、社会がそれを理解するスピードは、ダウンタイム——学校の休暇、クリスマス休暇——と連動して動く。

この観察は、エンタープライズ企業がAI導入に苦戦している理由の一端を説明するかもしれない。普段から時間的余裕のある人間の方が、先にスキルを習得できるという非対称性がある。


著者:「Ralphループ」の考案者

Geoffrey Huntley(以下、Geoff)は、「Ralphループ」の考案者として知られるオーストラリア人の独立系AIリサーチャーだ。Ralphループとは、AIエージェントのツール呼び出しをwhile文で囲む手法で、AIエージェントが結果を繰り返し評価・修正しながら処理を継続できるようにする設計パターンである。現在ではCursorやClaude(Claudeのエージェントモード)など複数のツール・サービスに類似のアーキテクチャが採用されており、エージェント型AIの普及を支えた基礎的な考え方の一つだ。本講演は「6ヶ月レポート」(メルボルン)の続編として位置づけられており、Geoffは過去3ヶ月で世界各地を巡りながら同様の内容を17回講演したという。


著者の主張:ソフトウェア開発コストの劇的な低下

講演の冒頭、Geoffはこう言い切っている。

ソフトウェア開発のコストは、今や最低賃金労働者の賃金を下回っている。

これはあくまで著者個人の見解・主張であり、業界全体の合意ではない点には留意が必要だ。かつて写真撮影には専門機材が必要だったが、iPhoneの登場で誰でもカメラマンになれた。それと同じことがソフトウェア開発で起きているというのが、Geoffの論旨だ。

実際、講演の中ではデザイナーやプロダクトマネージャーが「人生で一番楽しい時間を送っている」と語る様子が紹介されている。彼らはCursorなどのAIコーディングツールを使い、初めてコードを「書ける」側に回った。ソフトウェアエンジニアではない人々が登壇してスピーチをしていたというエピソードは、現場のリアルを伝えている。


「知識の希少性」から「知識の豊富性」へ

この講演で重要な軸となるのが、社会構造の転換という視点だ。

これまでの社会は「知識の希少性」を前提に設計されていた。医師、弁護士、会計士、シニアエンジニア——高い報酬が払われてきたのは、知識が稀少だったからだ。Geoffはこの前提が崩れたと主張する。

プリンシパルエンジニアが持つような知識——決定論的シミュレーションテスト、プロパティベーステスト(ランダムな入力を大量生成してコードの性質を検証する手法)、形式検証(数学的証明によってプログラムの正しさを保証する技術)——これらがすべて「スキルファイル」に集約される時代になった。

この変化はソフトウェア業界だけの話ではない。会計、法律、あらゆるホワイトカラー業務は「知識の希少性」という土台の上に成立してきた。その土台が変わりつつある、というのがGeoffの見立てだ。


AIをうまく使えない人は「楽器」として扱っていない

Geoffが繰り返し強調するのが、「AIは楽器であり、計算機ではない」という考え方だ。

ギタリストは楽器を手にして「音が悪い」とすぐ捨てたりしない。うまく弾けないのは自分のスキルの問題だと認識し、練習する。AIも同じで、「使えない」と感じている人の多くは、意図的・継続的な練習をしていないだけだという。

企業がAIツールを従業員に配布しても全員が活用できるわけではない——「ギターを配っても、全員が音楽的才能を持つわけではない」とGeoffは表現する。


二極化する企業:「リーン型捕食者」か「J字カーブ」か

Geoffは現在の企業を大きく二種類に分類する。

J字カーブとは、変革の過渡期に一時的に生産性や成果が落ちてから回復・上昇する現象を指す。

AI-nativeな新興スタートアップは、少人数でAIを使い倒すワークフローを設計し、多くを雇用せずに動く。「あなたのマージンが私のチャンス」というクレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションの論理で動く「頂点捕食者」だ。

一方、既存の大企業は全社員にAIを習得させる人的変革のJ字カーブを経なければならない。これには3〜4年かかり、速すぎると組織が壊れるという。

具体例として、SAP Concurの経費管理ソフトウェアには約6,800人が関わっていることをLinkedInのデータとして挙げている。この6,800人がAIを習得しようとしている間に、50人のAI-nativeなチームが同等の機能を作りきってしまう可能性がある、という文脈だ。


VCへの問い:「なぜシード資金が必要なのか?」

講演の後半では、ベンチャーキャピタルへの問いかけが紹介される。

今、なぜシード資金を調達する必要があるのか?

従来の答えは「人を雇ってプロダクトを作るため」だった。しかしAIがあれば、5人でプロダクトを作れる時代になった。Geoffの見解では、ソフトウェアへの投資対象は変わるべきで、資金はプロダクト開発ではなくGTM(Go-To-Market:市場開拓)の人的拡張に充てるべきだという。

LPからGPへのプレッシャーとして「ソフトウェアは今でも投資対象になるのか」という問いが業界全体で浮上しているという指摘は、エンジニアよりも投資家に刺さる内容だが、業界の地殻変動を示す観点として興味深い。


詳細はthe eighteen-month recap: AI Engineer, Singapore, May 2026を参照していただきたい。